みなさんは日本の製造業についてどのくらい知識がありますか。
今では、日本の車は世界的にも優れていると評価されています。
その理由は日本の製造業の歴史にあり、高い技術力を身につける過程がそこにあるからです。
今回は、日本の製造業が高い技術を身につける歴史を、戦前と戦後に分けて詳しくご紹介します。
□戦前の日本はこんな製造業の仕組みだった
日本の工業は、大きく2つのジャンルに分けられます。
1つは重化学工業です。
これは、金属や機械などの重量のあるものを生産する重工業と、化学薬品や、石油・石炭を使用して、ものを生産する化学工業をまとめた名称です。
しかし、この類の工業は、戦前の日本ではあまり盛んではありませんでした。
その一方で、戦前に活気のあった工業が、2つ目の軽工業です。
軽工業は、主に消費財で比較的重量の無いものを生産する工業です。
食料品や紙、せんいや陶磁器は軽工業に当てはまります。
日本は戦争が始まる前の明治時代、せんい工業が盛んでした。
これは、糸や織物を生産する工業であり、現在は重化学工業が出荷額のほとんどを占めているため、せんい工業は盛んであるとは言えません。
しかし、この時代は化学の知識や技術も今ほど発達していなかったため、重化学工業が発展するには時間がかかりました。
日本の工業の変化は、明治時代に始まります。
明治時代に、日本は殖産興業というスローガンを掲げていました。
殖産興業とは、生産を増やし、産業をおこすことを意味する熟語であり、これによって群馬県の富岡に富岡製糸場が作られました。
この工場は、国によって営まれている官営工場で、現在では特殊な工場になります。
1901年には官営の八幡製鉄所が作られ、技術力の上昇が見られます。
製造業は、第二次世界大戦が始まるまでは、せんい工業が製造業の中心となっていました。
その内容は、せんいの原料を輸入して糸や織物を製造し、輸出することで成り立つ加工貿易を行なっていました。
しかし、第二次世界大戦によって、日本の製造業の業種割合率が大きく変わることになります。
□第二次世界大戦の終結と日本の製造業
戦争が起きる前は、せんい工業を代表に軽工業が盛んでした。
しかし、敗戦国となった日本は、空襲や戦争に使われる武器の製造に力を入れていた反動で、工業は壊滅的なものになります。
そこで、経済を復帰させ、成長させるために重化学工業を発展させようとしました。
1970年には重化学工業の出荷額の割合が1935年と比べて2倍ほどになり、経済復興につながる要因になったと言えるでしょう。
また、戦後は産業全体の構造に変化が現れており、時代が流れるに連れて産業構造は高度化していきます。
せんい工業では衣服などの生活必需品が多くを占めていました。
しかし、重化学工業が台頭してから機械工業の成長、化学や鉄鋼の分野でも成長が多く見られ、経済の復興を助けました。
時代に適した産業の移り変わりが、日本の製造業の成長につながっていると言えるでしょう。
□まとめ
今回は日本の製造業の歴史についてご紹介しました。
これらの歴史から、時代のスピードに合わせて製造業の主要ジャンルを変えていくスタイルが日本の高度経済成長を促進し、現在の日本の技術力に影響を与えていることがわかるでしょう。